
坂本龍馬愛用飯碗と湯呑
龍馬が、下関の伊藤九三邸に寄宿していた頃、使用していたと考えられる飯碗と湯呑。のちに下関を離れる際、長府藩士の印藤聿に餞別として贈ったものです。印藤は、長府藩士の中で最も早く龍馬と知り合ったとされる人物で、龍馬の政治的支援者でした。
長崎亀山製の飯碗には、一度割れたものを修繕した跡があり、それは、龍馬の愛着の深さだけでなく、大金を動かし、大きな仕事をしながらも、常に細やかな気遣いを忘れなかった龍馬の人柄が伝わってきます。
なお、本資料は、龍馬の死後、長府藩14代藩主の毛利元敏より「放駒」と命名されました。